本部通信
全国都市監査委員会

 京都府 木津川 (きづがわ) 市
木津川市 平成19年3月12日、それぞれに文化と歴史を積み重ねてきた旧木津町・加茂町・山城町の3つの町が合併し、木津川市が誕生しました。
 「水・緑・歴史が薫る文化創造都市〜ひとが輝き ともに創る豊かな未来」
 これが木津川市の目指す将来像です。
 木津川市は、近畿のほぼ中央、京都府南部の山城地域に位置し、京都・大阪の中心部から30q圏内にあります。当地域の北側と南東側に細やかなやさしい稜線を持った山地が広がり、その山地の間をぬって、市域の中心部を東から西に、そして市域の西端部で大きくカーブし、北へ向かって木津川が流れており、木津川に沿った地域に平野部が広がっています。木津川市の地域は、四季を通じて穏やかな気候となっていますが、盆地型の地形のため、寒暖の差が大きいという特徴も併せ持っています。
 木津川市の地域では、3世紀ごろから木津川が交通路として利用され、淀川を通り大和と瀬戸内を結ぶ航路の起点にありました。奈良時代には、木津が平城京などの都城建設の木材の陸揚げ港として栄えました。「木津」という地名は、それが由来となっています。
天平12年(西暦740年)12月には、聖武天皇が平城京から旧加茂町の恭仁京に都を遷し、5年にわたって日本の首都となりました。
 また、古くから都と関連の深い地域として発展した当地域は、近郊農業の地として発展する素地を築きました。
 その後、この地域は奈良や京都、伊勢、伊賀を結ぶ街道の宿場町として発展するとともに、宇治茶やタケノコなどの主産地としての名声を高め、引き続き優良な農業地域として栄えました。また、江戸時代には木津川の治水事業や農地の拡大などが進められ、集落の発展も見られ、現在のまちの姿に近いものとなりました。
 明治時代になると木津川の水運としての役割は小さくなり、鉄道や道路の交通網の整備が進められました。また、茶の栽培や大都市近郊の立地条件を生かした近郊農業が盛んになりました。
また、旧木津町において、昭和60年代以降、関西文化学術研究都市の建設が進められ、先進的な研究施設が立地するとともに、質の高い都市空間が整備され、京都、大阪、奈良のベッドタウンとして、人口が急増してきました。
 平成17年4月に木津町・加茂町・山城町合併協議会が設置され、約2年間の合併協議を経て、平成19年3月12日に「木津川市」が発足しました。