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全国都市監査委員会


 埼玉県 秩父市(ちちぶ)

 平成17年4月1日、秩父市、吉田町、大滝村、荒川村の4市町村が合併し、新しい秩父市が誕生しました。
 秩父市は、埼玉県の西部にあり、北は群馬県、西は長野県、南は山梨県および東京都に接し、東京都心まで約60〜80km圏、県都さいたま市までは約50〜70km圏に位置しています。
 東京から電車で1時間半という交通至便なリゾート地・観光地として訪れる人も多く、特に、羊山公園の芝桜・12月に行われる秩父夜祭には、全国から多くの観光客が集まってきます。他にも、札所34ヶ所観音めぐりやSLの運行など、特色ある観光資源が豊富に存在します。
 地域のほとんどは秩父多摩甲斐国立公園の区域や武甲・西秩父といった県立自然公園の区域に指定されており、自然環境に恵まれた地域です。また、甲武信ヶ岳に源を発する荒川が地域の中央を流れ、秩父湖、秩父さくら湖などのダム湖を形成しています。そして、秩父地域のダム本体はすべて秩父市にあります。
 面積は577.69平方キロメートルで、埼玉県全体(3,797.25平方キロメートル)の約15%を占め、また、山地が多いため、面積の約87%は森林であり、埼玉県の森林の約40%を占めています。
 チチブという名があらわれたのは、旧事記、国造本紀の中で、「崇神天皇時代、知々夫国造が任命された」とあります。この「知々夫」が、現在使われている「秩父」に改まったのは、元明天皇の時代、8世紀の和銅年間で、国・郡等の名が2字に定まったことによると思われます。
 秩父が歴史上有名になったのは、和銅を元明天皇に献上したときからです。武家時代に入ると、秩父氏、武蔵七党の武士団が中央で名をはせました。一方で、鎌倉仏教の信仰が広まり、日本百番観音に数えられる秩父札所34カ所が成立しました。
 江戸時代には、木材や絹織物の産業が盛んになり、現在でも秩父銘仙や秩父つむぎが有名です。近世に至るまで、織物は、秩父の産業の中心をなし、明治17年の「秩父事件」も絹の大暴落と当時の自由民権運動とが引き金となり起きたものです。
 20世紀に入ると武甲山から石灰岩の採掘が始まり、セメント産業も発達しました。また、秩父には、スギ・ヒノキ・ブナ・竹などの豊富な天然木材があり、これらを活かした工芸品が地場産品として生み出されています。また、近年では、電子産業が発達し、新たな地場産業として成長しています。
 今後は、新市の将来像である「まち輝き むら際だち 森と水のちからほとばしる 助けあい 温もりのまち ちちぶ」の実現に向け、森林資源を積極的に活用した新産業の創出、生活基盤の整備、災害に強いまちづくり、保健・医療・福祉の充実、自然環境の保全、生活環境の向上などを図り、子どもからお年寄りまですべての人々が助けあい、安心していつまでも住み続けられる温もりのあるまちづくりに取り組んでいきます。