本部通信 トップページへ戻る
全国都市監査委員会


 長崎県 平戸市(ひらど)

平戸市 本市は、わが国の西端に位置し大陸に近いことから、古くから大陸交流の玄関口として栄え、平安時代の遣唐使などの寄港地として、空海や栄西なども立ち寄っている。16世紀にはポルトガル船が来航し、17世紀前半には平戸にオランダやイギリスの商館が設置されるなど南蛮・紅毛文化やキリスト教伝来の窓口となった。しかし、江戸時代にはキリスト教が禁止されたため、数多くのキリシタンが弾圧され殉教者も多く、その遺跡も数多く残されている。また、捕鯨漁場として栄えた歴史を有しており、生月島は江戸時代に日本一の規模を持つ益冨組の本拠地として栄えた。
 平戸地域は、明治2年平戸藩知事が置かれ、明治4年廃藩置県により平戸県になり、その後長崎県となる。大正14年平戸町、中野村、獅子村、紐差村、中津良村、津吉村、志々伎村の1町6村となり、昭和30年1月1日、1町6村が合併して平戸市制を施行。
 生月地域は、明治4年廃藩置県により長崎県となり、同11年郡区町編成法により生月村、山田村となる。同22年両村が合併して生月村となり、昭和15年4月17日、生月町制を施行。
 田平地域は、明治4年廃藩置県により長崎県となり、同11年郡区町編成法により田平村、小手田村、下寺村となる。明治22年田平村と南田平村となり、昭和29年4月1日両村が合併して田平町制を施行。
 大島地域は、明治11 年郡区町編成法により、大島村と的山村の2村となり、明治22年両村が合併して大島村となる。
 平成17年10月1日、1市2町1村が合併して現在に至っている。
 本市は、平戸島、度島、高島、生月島、大島の有人島及び九州本土西北部の沿岸部に位置する田平地域と周辺の多数の島々で構成されており、平戸島は九州本土の西に位置し、平戸大橋により九州本土と結ばれ、生月島は平戸島の西にあり、平戸島と生月大橋で結ばれている。大島は平戸島の北にあり、交通手段は船舶のみとなっている。田平地域は、本土の内陸地域と接している。
 面積は、235.5で、各地域とも平坦地は少なく、起伏の多い地形となっており、海岸線は各所に岬が突出し、断崖などの自然景観が美しく、西海国立公園に指定されている。
 河川は総じて短小で、最大が神曽根川の9.35kmである。地方港湾は平戸港をはじめ6港で、56条港湾が7港ある。漁港は大小33港にも及んでおり、日本有数の漁港数を有している。
 気候は、周囲のほとんどが海に囲まれており、対馬暖流と季節風の影響を受け海洋性の温暖な気候で、通年の平均気温は16〜17℃、年間平均降水量は2,000mm前後で、特に6月から8月の間に多い。
 人口は合併して、38,389人(平成17年国勢調査)世帯数13,512世帯である。5年前と比較して人口で、3,197人減、世帯数で、227世帯の減と過疎化の進行は深刻である。少子・高齢化も進んでおり福祉政策の充実がもとめられている。
 基幹産業である農業、漁業も就業者の高齢化、後継者不足など厳しい状況が続いている。観光業についても190万人の観光客が訪れているが、近年は横ばい状態にあり日帰り客の増加、宿泊客の減少傾向にあり地域経済への効果は小さくなっている。
 今後は合併効果を活かした経費節減や行政組織の再編により、専門的で高度な行政サービスの提供など、住民生活の向上に向け市政運営を図っていくことが重要である。